誰にでもある「恥ずかしい思い出」
今でも忘れられない、恥ずかしい体験。誰しも必ずあると思います。
私の場合、小学校の時は担任の教師を「お母さん」と呼んでしまい、クラス中でバカにされました。
浪人生の頃、数学もろくにできないくせに、勢いで予備校の「難関国公立大学コース」に入りました。最初の授業で基本の公式すら答えられず、「こいつ何しにここに来たんだ」という空気に包まれて、ひとり場違い感を味わいました。
社会人になっても、取引先に間違ったメールを送ってしまって大変なことになったり、大事な会議を忘れてすっぽかしたり。数え切れないほど「穴があったら入りたい」ことをやらかしています。
こんな嫌な思い出は、さっさと忘れたいものです。しかしそのような思い出は、思い出したくないのに事あるごとに現れて、そのたびにこころをかき乱します。
自分に厳しくて、ちゃんとしたいというストイックな人ほど、そんな症状に苦しんでいるようです。なんとかできないのでしょうか。
意外な方法で、イヤな気分は瞬時に消える
過ぎてしまった昔のことで、何度もこころが疲れてしまっては、何もいいことはありません。でも、そんなこと頭では分かっているのに、どうしても思い出して頭の中をぐるぐる回ってしまう。
私も、思い出したくもない風景が何度も蘇り、そのたびにイヤな気分になることを繰り返してきました。
しかし、あるとき頭をよぎった、ある「アイデア」のおかげで、イヤな気分になることがなくなりました。
それは拍子抜けするぐらい簡単なことでした。それは、
他人の「思い出したくもない、恥ずかしい場面」を思い出してみる
というものです。
これがなぜ、瞬時にイヤな気分を消すことになるのでしょうか。
しょせん他人事
あなたは他人の恥ずかしい場面を、いくつ思い出せたでしょうか。正直、私はひとつも思い出すことができませんでした。
言い換えれば、
誰もあなたの恥ずかしい場面を覚えていない
ということになります。
思い出しては恥ずかしくなるということは、「他人から変に思われている」ということに恥ずかしさを感じているはずです。
でも、そもそも人間は、他人にそこまで興味がありません。自分のことで頭がいっぱいなのです。
それは他人の恥ずかしい場面を思い出せない、あなた自身が証明しています。
しょせんは他人事なのです。それがわかれば、気にする必要などまったく無いのです。
もうひとつ分かりやすい例えをすると、顔にニキビや吹き出ものができた時のことを考えてみてください。
自分にとってはすごく気になりますが、他人に聞いたら意外と目立ってないと言われた経験はないでしょうか。
やはり、自分が思い悩んでいることは、他人にとってはどうでもいいことなのです。
思い出が変わっていく
思い出してイヤな気分になったときには、「どうせ他人は覚えていない」と割り切ってもらえれば、ずいぶん気持ちは楽になると思います。
でも、恥ずかしい思い出自体がなくなるわけではありません。ときどき現れることは止めようがありません。
しかし、出てくるたびに先ほどのやり方で対処していると、次第に感じ方が変わってくることがあります。
免疫がついたり慣れてきたりするせいか、最初はイヤな恥ずかしいだけの思い出が、懐かしく感じたりするようになります。
そんな変化がなぜ起こるのかは分かりませんが、私は「自分自身の見方」が変化しているのだと考えています。
つまり、「恥ずかしいことをした自分」を責める気持ちが薄れてきて、過去の自分を受け入れるようになったのではないか、ということです。
自分を否定していては、いつまでも自分を傷つけます。このアイデアで、自分に優しくする習慣を身につけていただければと願っています。