「何を話すか」よりも大事なこと(対人スキル③)

今回も、対人コミュニケーションについて、続きを解説していきます。

前回は、他人を思うとおりに動かそうとする努力は誤った「常識」だとして、そのようなものはすぐに捨て去るべきだと申しました。

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そしてコントロールできるものは自分だけなので、自分に対してエネルギーを向ける必要がある、と主張したところです。

今回は、その「自分自身」にフォーカスした話をしたいと思います。

対人関係なのに「自分自身」なのは、なぜ?

対人関係のコミュニケーションについての記事なのに、相手をどう動かすかを「諦め」て、「自分自身」について考察する・・・。一見すると、まるで役に立たない議論のようです。

前回申し上げたように、人は行動のすべてを自分自身で決定しています。これは揺るがすことのできない大前提です。ですので、その決定を外部からコントロールすることは、基本的にできません。

できることはただひとつ、その決定を下す相手の心に「影響」を与えることだけなのです。

「影響」というなら、なおさらどのように言いくるめるか、というテクニックに陥りそうです。しかし、一時的な言葉の印象だけで与える「影響」は限定的で、いつかメッキが剥がれてきます。

友人、恋人、職場の同僚など、「影響」を与えたいと思う相手は、ある程度の期間の付き合いがあるはずです。そういう相手には、もっと時間をかけたアプローチが必要になってくるのです。

相手に信頼されて「影響」を与えられるようにするためには、「自分のあり方」と「自分の振る舞い方」の二つを確立しなくてはなりません。

「自分のあり方」を変える

まずひとつめの「自分のあり方」についてお話しします。

「自分のあり方」といわれると、どうしても構えてしまって、難しく考えがちになります。別に聖人君子のように立派な人間になれ、といっているのではありません。

ここではあくまで、「影響」を与えたい相手にとってどうなのか、ということに過ぎません。世間一般すべての人からの目は気にしなくていいのです。

簡単に言えば、「影響を与えたい人」にとって「重要なポジションにある人」になりましょう、ということなのです。

なぜ、そのような「あり方」にこだわるのか、不思議に感じられる方が多いでしょう。そんな回りくどいやりかたでなく、相手に「どのように話すか」の方が大切だと思われるでしょう。

しかし残念なことに、人間という動物は、他人が発した言葉をそのまま素直に受け取ることができないのです。つまり、言葉だけを分析して理解するのではなく、その言葉を発した人物まで含めて判断します。

何が言いたいかというと、他人への影響は、発言する「内容」ではなく、発言する「人物」によって決まってしまうということなのです。

決め手は「誰が言うか」

例えば、街中で歩きたばこをしている人に注意するとしましょう。

①子どもを連れた母親が「やめてください」と言う場合

②手にたばこを持った人が、同じように「やめてください」と言う場合

この二つを比べたらどうでしょうか。②の人には「お前が言うな」と言いたくなりませんか?

言っている内容はどちらも同じ「やめてください」というフレーズですが、だれが発言するかによって、全く印象が違ってきます。これは人間として自然な感覚だと思います。

つまり、相手に印象という影響を与えるのは、「何を言うか」ではなく「誰が言うか」が最も重要だということができます。

「あの人は法律に詳しいから、間違いないだろう」

「◯◯さんのほうが人生経験が豊富だから、信じられる」

こんなやりとりをどこかで聞いたことはないでしょうか。

私たちは普段から「誰が言うか」に縛られています。それはまるで、実在しないが頭の中だけにいる「◯◯さんというイメージ」が話しているに過ぎないのです。

これを逆に考えれば、相手の「重要なポジション」に入り込めば、大きな影響力を発揮できるということでもあります。

では、どのような人をなら「重要なポジション」に入れるのでしょう。そのために必要なのが、2つめの「自分の振る舞い方」なのです。

次回は具体的な「振る舞い方」についてお話します。

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コメント

  1. 工藤真紀子 より:

    引き込まれて沢山読ませてもらいました。
    任意団体(傾聴ボランティア自殺予防)の人間関係で困っています。
    年長の人が部下?というか
    私40代女性が代表で、70才男性が副代表です。攻撃性もなく悪い人ではないけれど鈍感に見えるし傾聴する団体なのに聴けない。彼がしゃべるんです。活動には参加してくれる。善意は無くはない。私は私を押し付けてもいけない。彼は言われたことはやる。です。
    でも、この件にエネルギーを注ぐのは馬鹿てすか?彼の年齢的に不可能なんでしょうか?

    • ウェスタ氏 より:

      コメントをいただき、ありがとうございます。まず、自殺予防の傾聴ボランティアという尊い活動をされていることに敬意を表します。色々な背景を持った方々の苦悩を毎日お聞きになるのは、想像にならないほど大変なことであり、尊い活動をされていると頭が下がる思いです。

      同じ活動をされている年上の男性に対して、悩んでらっしゃるとのこと。私のブログのこのテーマの主題は「自分が影響を与えたい人にどうアプローチするか」についての方法のひとつとして「傾聴」を挙げました。

      自分が好きな人や振り向いて欲しい人へは、進んで傾聴する態度で臨めるでしょう。しかし、会った事もない見ず知らずの悩める人に対して、傾聴する態度で臨むということは、なかなか出来るものではありません。

      話は少しそれますが、傾聴したり他人の話を受け止めるためには、人間としての「器」の大きさが必要だと私は考えています。その器の大きさは「人生における経験」と「生まれ持った素質」の掛け算だと捉えています。

      「経験」が豊富であれば、人間の悲哀や陥りがちな苦しみを理解できることができ、より深く相手を理解できます。しかしそれだけでなはなく、一歩引いて相手のために自我を封じて、相手の話しを聞いていったん全て受け止めるという「去私」という生まれ持った素質が不可欠です。

      どうもその年上男性は、「経験」があるが故にそれに頼っているように見え、相談相手からの言葉を十分受け止める十分な「器」が備わっていないように感じます。つまりは「素質」に問題があるようです。

      ただ、活動に積極的であることは非常にありがたいことなので、外部へのアピールや活動に賛同してくれる仲間を広げるといった、別の「使い道」を探すのもひとつの手だと思います。

      無責任な返答で申し訳ありませんが、参考にしていただければ幸いです。

  2. 工藤真紀子 より:

    早くのご返信驚きました。心底感謝です。
    去私という言葉は初めて聞きました。
    無責任でもなく
    的を射たご返答でした。
    確かにアピールとか、そういう方面の役割を担ってもらおうと思います。
    私も自分をわきまえて色んな温度があって当然だと割りきって気持ちを軽くして静かに過ごしていきたいです。
    これからも、ブログ楽しみにしています。ご無理のないよう、過ごされて下さい。